読書感想ブログその2
わかりあえないことから始める
去年5月に書いた内容を再編集しました。
コロナをきっかけにオンラインによる取り組みを少しずつ実践していく日々が増えました。
そのなかでダイアローグ(対話)が果たしてオンラインでも可能なのかどうかを、考えているところです。
自分がコミュニケーションについて調べているなかで、ダイアローグ(対話)について触れている本がありました。
その本がコレです
わかりあえないことから
~コミュニケーション能力とは何か~
著者は劇作家でもある平田オリザさんという方です。
この本では“人と人は基本わかりあえないものだからわかりあえないことから始めていこうよ”
と、
コミュニケーションを少し軽い気持ちで考えてみよう、といった内容になっています。
海外旅行に行かれた人ならわかるかもしれませんが、
外国の人と会話したとき、ちょっとでも言葉が通じたらむちゃくちゃ嬉しい気持ちになりますよね?
コミュニケーションはそんな程度のものだよ、と著者の平田オリザさんは書いています。
この本のなかで、【対話と対論の違い】というテーマが興味深かったので触れておこうと思います。
そもそも両者の言葉の意味は・・・
対話:二人以上の人物間の思考の交流
対論:両者が向かい合って議論すること。またある事柄について対抗して行う議論
とあります。
日本人は対話文化がもともとないといわれており、どちらかというと『会話』
の方が得意な印象です。
会話は相手との関係を構築していく上で必要なものなので、
当たり障りのない挨拶や世間話をすることが多いです。
また多くの日本人は『対話』と『対論』と『会話』を同じようなものとして認識している傾向があるのか、
相手と違った意見を言おうものなら、
「あの人は私のことが嫌いだから私の意見に同意してくれないんだ!」
と負の感情が入りかねない状況がしばしばみられます。
おそらくこれは普段から対話ではなく、会話(相手に同調するようなやり取り)しか経験していないから、
という理由もあるかと思います。
また著者の平田オリザさんがヨーロッパの方と舞台公演の打ち合わせをしていた際、
話し合いの末、平田さんがはじめから話していた意見に近いものになり、
「結局僕の言ってた意見だね」と話したところ、
相手は「いや違う。これは私とあなたが2人で話し合った上で最終的にでてきた意見だから2人の意見だ」
と話したそうです。
このエピソードを読んで私はとても納得がいきました。
Aという意見とBという意見。
はじめにAの意見を主張していたときは、Bの意見の良し悪しはわからなかった。
でもお互いの考えを話し合い、AとBの良い部分、悪い部分両方を理解できた上でAという意見になったのであれば、
それは『A』ではなく『A´(ダッシュ)』である。
『対話』というのはまさにこういうことをいうんだなと感じました。
そしてもっとも重要なのはこの対話は誰も初めからはうまくできないということです。
何度も伝えようとし、それでもうまく伝わらないという経験をくり返していくなかでしか獲得できないものでもあると著者は述べています。
そう考えると、いま実践しているオンライン会議や勉強会に対して「やっぱりオンラインでは伝わらない」
と悲観的に捉えるよりも「対話を積み重ねていくなかでオンラインでもわかりあえるかもしれない」と
考える方が未来は明るいんじゃないかと思えるようになりました。
もっと話したいことはありますが、このへんにしておきたいと思います。
もし興味があれば一度読んでみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。